S.O.M.E.

美学。

田根剛、アーキオロジーからアーキテクチャーへ のはなし

東京のど真ん中に古墳を作ろうとした建築家がいる。

 

 

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 https://casabrutus.com/architecture/88121

 

 

田根 剛

 

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http://6mirai.tokyo-midtown.com/creator/tane_tsuyoshi/

 

 Atelier Tsuyoshi Tane Architectsの代表としてフランス・パリを拠点に活動。現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行している。主な作品に〈エストニア国立博物館〉(2006–16)、〈A House for Oiso〉(2014–15)、〈LIGHT is TIME〉(2014)(以上DGT.)、〈(仮称)弘前市芸術文化施設〉(2017–)など。フランス文化庁新進建築家賞(2007)、フランス国外建築賞グランプリ(2016)、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞(2017)など受賞多数。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。 

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 今回、初台にある東京オペラシティと乃木坂にあるtotoギャラリー間の二箇所で存命の建築家としては異例の大規模な展覧会が催された。

 

 

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http://at-ta.fr/

 

彼の建築手法で興味深いのは、考古学的に土地の歴史に深く潜っていき、その情報のアーカイブの中からデザインの手がかりとなる要素を抽出するという点だ。

 

Archaeology of the Future―未来の記憶

まだ誰も見たことのない、経験したこともない、想像すらしたことのない、そんな建築をつくりたいと思っています。でもそれは奇抜な未来型の建築とは違う、場所の記憶からはじまる建築、そんな途方もないことを考えています。
私はいつも考古学者のように遠い時間を遡り、場所の記憶を掘り起こすことからはじめます。そこでは今日の世界から忘れ去られ、失われ、消えてしまったものに遭遇し、それらを発見する驚きと喜びがあります。その時、記憶は過去のものでなく、未来を生み出す原動力へと変貌するのです。

場所には必ず記憶があります。建築はその記憶を継承し、未来をつくることができるのです。未来は必ず訪れます。建築はこの時代を動かし、未来のその先の記憶となります。まだ誰も見たことのない未来の記憶をつくること、建築にはそれが可能だと信じています。
 
田根 剛

 

 

新国立競技場の設計案、物議を醸したザハハディドの案とは異なり、木で覆われたその姿は今まで考えられてきた「未来的」のイメージを一変させた。

 

 

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壁面にはいかにして彼らが古墳のイメージにたどり着いたかがコラージュのように展示されている。シンボリックなものを目指した結果、環境に溶け込むものができたという物語がここでは暗に示されている。

 

 

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各プロジェクトに関してリサーチした結果が展示されている。ここまで手の内を明かされたら、きっと今後の学生コンペなどで似たような方法を見るようになるのだろう。

 

 

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最終日ともあってものすごい人出。注目度の高さが伺える。

 

 

ものすごい人が作品集を買って帰っていった。

けれど図録の隣に置いてあるこの本を手に取る人は少なかった。

 

田根 剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ

田根 剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ

 

 

瀧口範子(コールハースなどのドキュメントで著名)による田根剛のインタビュー本だ。

 

一般論として作品集は具体的な作品群についてそのプロセスや施主との関係性といった面が重点的に語られるのに対して、建築家の抽象的な思考や原風景について語られることが少ない。

 

展覧会を観ていくつかの疑問が頭をよぎった。

 

 

  •  アーケオロジーとノスタルジーの違いは何か?

場所の時間的なコンテクストを読む方法は時として安易なノスタルジー、懐古趣味に陥る。寒い記号的なゆるキャラみたいになりかねない。

 

  • 古ければなんでもいいのか?

生かす価値のある記憶と価値のない記憶は何が異なるのか

 

  • どこからどこまでがリサーチする価値のある歴史なのか?

上に同じ、例えば近代の産業遺産のようなものは記憶に含まれるのか?

 

  • 雑種の植生の意図は何か?

古墳スタジアムに代表されるように植生(ランドスケープ)が雑木林的に表現されている。その意図は何か。

 

  • 渋谷に記憶があるのか?

渋谷のプロジェクトが展示されていたが、その土地に必ずしも記憶があるのか?

例えば文明が存在した歴史のない荒野に建築は作れるのか?

 

このような疑問のうち本書を読むことでそのいくつかは解決し、いくつかは依然として疑問が残った。

気になった点を引用する。

ちなみにこの本を読んで初めて知ったが田根剛は藤本壮介の事務所でバイトしていたことがあるらしい。

どこか彼の建築に原初の姿を見つけようとする姿勢を感じるのはその影響だろう。

 

特に建築では近代建築以降は不要で、それ以前のものをリサーチします。今さら知っているものを見せられても面白くないので。

 

   近代建築の中には記憶はないのでしょうか

 

近代建築は僕たちの世代の知識の基礎であり基盤でもあるのですが、僕はそれ以前の世界の方に可能性があると思っているんです。近代建築の教育を受けて、そこにこそ次の時代の社会や未来を動かす力があると思い込んでいたけれども、今はその先が見えないという実感がある。というのも、近代は記憶を持たずに新しさだけで突き進んでいた。機能的で、歴史や場所からも解放され、空間の量が増やせた。けれども今、そんな近代建築が壊され始めているのです。近代建築は本来の建築の価値を見失ったのではないか、そこから僕たちのリサーチのスタートがあった。

 

意外と決定的な宣言ではないだろうか、多くの建築家が近代建築を乗り越える方法を模索している。彼の方法もまたそのバリエーションということだろう。であればポストモダンルネッサンスとの差異が気になる。

 

 

   記憶とノスタルジーの違いはなんですか?

 

ノスタルジーや思い出は過去に属するものです。一方、記憶は未来に属する。記憶は過去だという認識は強いのですが、記憶には何かを予期するとか、予知するという力が含まれているんです。ということは、僕らは記憶がなければ未来がつくれない。記憶がなければ言葉もしゃべれないし地図もつくれない、行動もできない。すべてを失っても生きていこうとする力を目にした時、物質ではない記憶の力がどれだけ人の生きる力になっているのかを痛感します。

 

ドンピシャで疑問をそのまま伝えてくれた。インタビュアーの力量。

未来のための記憶というスタンスは揺るぎないようだが、途端に抽象的になる。『すべてを失っても生きていこうとする力』とはなんのことを指しているのか。歴史上の危機か、あるいは現代の災害か。

 

 

大都会の真ん中に大自然ができるということは、今の時代に意味があるんじゃないかと思ったのです。明治神宮を取り囲む内苑は最初から森だと思っていたら実は人工林で、100年の年月によっていまの姿になったものです。僕はちょっと時間が空くと明治神宮に歩きに行ったりするんですが、あの森を作った日本の知恵と技術はすごい。それに対して外苑は本来の場所の意味を失いつつある。普通に放っておくと、オリンピック景気で外苑周辺の土地は開発され、高層化してしまう。時間とお金によって、切り売りされていくのです。競技場を作るという計画に対して頼まれてもいないのに古墳を提案したのは、外苑に森を取り戻すことが必要なのではないかと考えたからです。

 

   古墳は権力の象徴として理解することもできるわけですが、そうした意味合いとの関係はどう考えましたか。

 

それは意識下では捉えていたと思います。ただそれを超えて、日本の古代にあった死後も生きていく場、社会の鎮魂の場としての記憶が、この時代を動かす原動力になるんじゃないか、東京にそれが生まれることの意味があるのではないかと考えた。文明や文化が持つ集合的な力は未来へ意味を残すのではないか、と思ったのです。

 

 

 古墳スタジアムについて。哲学者のハンナ・アーレントが都市と記憶について積極的に論考を書いたが影響はあるのだろうか。

東京は記憶を持たない都市だ。言うなれば若年性健忘都市だ。

これはヨーロッパを旅したことのある人ならばよくわかると思う。

 

他の建築家たちがオリンピックの祝祭性に注目して派手な建築を提案したのに引き換え、彼が提案したのは鎮魂のスタジアム。異様な存在感がある。

 

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ここまで書いていてこの鎮魂の古墳は、日本で死んでいく私たちの共同墓地のようなものを意図したのかもしれないと考えた。

 

街が変わらない姿を保っていてくれるから私たちは安心して死ぬことができる。

自分の存在もその記憶の一部となる。

 

 

そんなことを考えた。

 

 

田根 剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ

田根 剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ

 
TSUYOSHI TANE Archaeology of the Future 田根 剛建築作品集 未来の記憶

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